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夏コラム 私は人として最低でした
2011 年 8 月 5 日
この業界に入って、幾許(いくばく)かの時間が過ぎた頃でした。ある程度の事が判りかけて、自分でも担当を任され始めていたある日のこと・・とあるご縁で、盲目のご婦人のご葬儀を担当いたしました。喪主であり伴侶のご主人もまた、子供の頃から光を失い今日まで生きてこられたそうです。いうなれば、盲目のご夫婦です。私は、正直言って戸惑いました。全てお客様にパンフレットを見ていただき詳細を決定していた自分の経験値が、全く通用しないのですから・・・・幸い介添え人の方の手慣れたガイドで、その戸惑いは無用であったと気づくのにも多くの時間は要しませんでした。そして話は本題の「棺周りのお飾り」です。喪主様は私に言いました。
「家内は花がとても好きでした。花で囲んで見送ってあげたいのです」
後で考えれば、その言葉を聴いた私の訝(いぶか)しげな表情をもしかしたら喪主様は感じ取っていたかもしれません。
結局、花祭壇(はなさいだん)を組むことになったのですが、なんともはや微に入り細に入りの指定の細やかさ! 花の種類や置き場所、ボリュームのリクエストもさることながら、花の知識は驚嘆の一言です。それをそのまま花祭壇を担当する業者さんに伝え、ディレクターとしての役目はひと段落です。
そして通夜当日・・・準備が出来た頃に、喪主様が式場に到着されました。
棺と祭壇の前に静かに立つ後姿
沈黙の時に終止符を打つ、喪主様のなんとも言えない優しい言葉・・・・
私のお願いした通りに作って頂けましたねぇ
私の驚きをよそに、優しい口調は続きます
葬儀屋さん、私は目が見えません。でもね、見えない分だけ、匂いには敏感なんですよ
ここに○○の花が、そしてここには○○の花が・・・・指定外の花の種類までも触れもせずに言い当てる目元は、まるで全てが見えているかのようでした。そしてゆっくりと私のほうを向き直り、頭を下げられました。
「ありがとうございました。家内も必ず喜んでおります」
その時、自分の考えが何と卑屈(ひくつ)で、何とちっぽけで、何と愚劣(ぐれつ)であったか思い知らされました。打ち合わせのとき、私は花の種類を指定する喪主様に「目が見えないのに、なぜそこまで拘(こだわ)るのですか?」と心の中で聞いていたのです。「見えない」という障害を単なる偏見で受け止め、高飛車な愚問をもっていた己が、これまで経験したことのないほどに恥ずかしく思えました。人様のご葬儀のお世話をする究極のサービス業?冗談じゃありません。それどころか、自分が単なる思い上がりで高慢な心でしかお客様と接していなかったことを思い知らされたのでした。
そうです。私は人として最低でした。
無事に式が終わり、いよいよお別れの花入れの時間です。棺のふたを閉める直前、喪主様は一輪の小花を、そっと故人のお顔の横に置きました。開くことのない瞼の奥から溢れ出る涙、無言のまま何度も何度も故人のお顔を包み込むように撫でている両の掌(たなごころ)からは、私達には聞こえないありがとうが溢れ出ているようでした。
後日、私は喪主様にこれまでの自分の気持ちを全て正直に話しました。お客様が盲目であって戸惑ったこと、花祭壇に拘(こだわ)りを持つことを疑問に感じた事・・・そして何よりも「見えない」という方々に対し偏った見方をしていた今までの自分を吐露しながら、自分は人として最低であったと気づかせて頂いたお客様に対し、感謝の意を伝えました。
相も変わらず優しい面持ちで私の話を「うんうん」と聞いてくれていたお客様は、話がひと段落した頃を見計らって、そっと口を開きました。
「葬儀屋さん、ありがとう・・・
私にはあなたのお顔を見ることが出来ません。
残念だ・・・でも、あなたの心は見える気がします。人の心が見える葬儀屋さんになってくださいね。私のときも、必ずあなたにお願いしますよ」
その言葉が、今でも私の脳裏から離れません。もしかしたら、一生かかっても人の心を見るなんて芸当は出来ないかもしれません。
でもその約束を果たすべく、見えなくても見ようとする心の目は持ち続けたいと思っています。それが私の、あの方や皆さんへの恩返しだと信じて・・・
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